平野里美
Satomi Hirano
約20年、気丈に一人暮らしをしていた母も卒寿を過ぎ、ここ数年私は毎週末に母の住む実家との往来を繰り返している。
私は写真が趣味といっても、撮るのは何時も日々のスナップショット。いきおい、母を連れ出した際の写真も少なからず堆積してゆく。と、同時に車内に流れるなじみの風景に触発されてか、語り出す母の記憶の断片の話は聞き流され、もう一度反芻しようとした時、留まらなかったことへの哀惜。かろうじて過去を思い起こすことのできる今の風景と、母の言葉を記録しなくては。
母と共有できる私の思い出の風景も、母にとっては既に変化した後の風景だ。時の地層に挟み込まれた母の思い出話を掬い取り、留めることの奇跡を大切にしたいと思い、今日も撮り、記録する。